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> 中藤 泰昭の場合
cubic M
ことの始まり
1.
オペラシティに隣接という絶好のロケーション
2.
メゾネットプランを提案、クライアントも気に入ったが...
3.
デベロッパーが見付からず、計画は白紙に
4.
新たな与件で仕切り直し、制約の中からアイデアが
中藤 泰昭
1995年入社。本社設計本部に配属され、現在、設計グループ所属のアーキテクト。
これまでに本田技術研究所などの設計に携わる。
SCENE_1 ことの始まり
1. オペラシティ(新国立劇場)に隣接という絶好のロケーション
1999年2月。話があったのは建物ができる3年前だった。初台の新国立劇場の裏に「増田屋」という平屋の蕎麦屋が建っている土地があり、そこに容積一杯の建物を新築し土地を有効利用する話を、大成建設として持ち掛けるというものだった。
土地の持ち主は蕎麦屋を経営されている古道社長。「この土地にはこの規模の建物が建ち、賃貸ワンルームマンションとして計画すればそれなりの収支が見込めます。」というのが説明内容だが、その時3人の設計者が1案ずつ担当し、3つの計画を提案した。
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