- 用途
- 集会場
- 所在地
- 新潟県新発田市諏訪町
- 延床面積
- 367.10m2(蔵春閣222.27m2)
- 階数
- 地上2階
建築設計コンセプト
大倉喜八郎生誕の地に蘇る明治の迎賓館
大成建設の創立者・大倉喜八郎が明治45年(1912年)に東京向島に建て、千葉県船橋市に移されていた迎賓館・蔵春閣を解体し、生誕地である新潟県新発田市に移築したプロジェクトです。解体した建物を、建築基準法適用除外制度を用いて貴重な材料、意匠をそのままに移築した極めて稀な事例であり、新発田市との綿密な連携により実現することができました。
解体時には建設後100年が経過していましたが、当初の部材が健全な状態で残っていました。それらを伝統の技と最新の技術を用いて保存しながら、法令上の要求を満たした上で将来文化財指定を受けるに値する建物として移築し、積極的な活用により新発田の街の活性化の起爆剤となることを目指しました。
建築基準法適用除外制度を用いた歴史的建造物の移築
移築は建築基準法上の新築にあたるため、現行基準適合のために往時の意匠や貴重な建材が失われる場合があります。今回は、蔵春閣の文化財的な価値を守るために、新発田市の景観形成重要建築物へ登録し、同法を適用除外とする制度を活用しました。ただし、将来の活用を考慮した安全・安心の担保は必須です。積雪を踏まえた耐震補強のほか、火災時に排煙設備がなくとも安全に避難できるよう、避難計算を根拠に収容人数を制限するなど、現行基準に適合できない部分についてハード・ソフト両面から代替措置を検討して保存活用計画としてとりまとめ、移築が実現しました。
伝統の技による部材の修繕・再利用
文化財修理の原則に則り、可能な限り既存部材を修繕の上再利用しました。木材は、腐朽部分を最小限取り除き接木や矧木により繕いました。大理石モザイク床や寄木床は、破損や欠失部分を補足し当初の美しさを蘇らせました。複雑な天井格子も解体前と同様の技法で復旧し、意匠だけでなく技法も後世に受け継ぎました。
構造設計コンセプト
BIMモデルを用いた構造補強部材の検証
関東から多雪区域への移築に際し、屋根および庇に対して積雪荷重(130㎝ 30N/m2)による構造安全性、および建物の耐震性確保が求められました。構造補強にあたっては、既存木材を極力残し、当時の意匠に極力影響を与えないことを目指しました
積雪荷重に対しては、屋根、2階庇の既存桔木間に鉄骨桔木を追加する構造補強を行いました。また耐震性を確保するため、合板耐力壁、鉄骨門型フレームの追加、2階梁の鋼鈑補強を行い、現行基準と同等の耐震性を確保しました。
一般的な文化財修理では、特に鉄骨桔木のような厳しい納まり、複雑な形状となる部材は現地実測の上製作しますが、今回はBIMモデルを作成して干渉部分の洗い出しを行い、位置や角度を細かく調整することで工事の効率化に寄与しました。
設備設計コンセプト
積極的に活用するための保存と更新
前述の保存活用計画に基づき、防火・避難規定の現行基準に適合できない部分の代替措置として、「火災に対する早期発見・消火・通報連絡・避難」を自主強化し、感震ブレーカー、パッケージ消火器、非常警報設備、自動火災報知設備等の設置を行いました。
蔵春閣の文化財的価値が高いことから、設備更新にあたっては建物を傷めないよう極力既存のスリーブやコンセント開口を利用しました。照明も当初のシャンデリア等を補修の上再利用し、元々ハロゲンランプであったところをLEDに対応できるよう加工を行い、何十年後も使い続けられる建物としました。
また、関東からの移築に伴い空調設備を更新し、積雪地域においても快適に施設の活用ができる計画としました。
担当
担当 | |
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設計 | 大成建設株式会社一級建築士事務所 |
大成建設担当者 | |
建築設計 | 松尾浩樹、杉江夏呼、中谷扶美子、針谷誠 |
構造設計 | 池間典一、大島睦巳、関根夕貴 |
設備設計 | 川崎賢哉、小畠忠久、冨田峻亮 |
電気設計 | 川崎賢哉、中井信雄、池上海 |
ランドスケープ | 山下剛史 |